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料亭きのえねでは、四季折々の食材を、situaitonにあわせてご予約下さい。
営業時間 11:30〜14:00
     17:00〜21:30
定休日 水曜日

※来館してのお打ち合わせの場合は、事前に打合せ日程をご予約下さい。
電話での受付時間10:00〜17:00まで

うなぎ料理

四季折々に

その時期、その時期の旬の素材を活かし、料理に仕立てていきます。
旬の味をお楽しみいただけます。

会席料理

はれの良き日のためのお料理を

素敵な日のために誂えたお料理をお楽しみ下さい。
また、結納から結婚披露宴まで承っております。一度、ご相談にお越し下さい。

洋食料理

ご先祖様の思い出を語らいながら

ご先祖様の在りし日を語り合いながら、お召し上がり下さい。
葬儀後のお清めの席からご法要まで承っております。一度、ご相談にお越し下さい。

料理の写真はイメージです。
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  本体価格 サ込税別金額
月のお品書き 4,000円 4,400円
月のお品書き 5,200円 5,720円
月のお品書き 7,000円 7,700円
月のお品書き 10,000円 11,000円

別途消費税をいただきます。

昼の部(11:30〜14:00)
  鰻重定食 金3,800円
  刺身定食 金2,000円
  天ぷら定食 金1,500円

夜の部(17:00〜21:30)
  鰻重定食 金3,800円
  刺身定食 金2,500円
  天ぷら定食 金2,000円

※上記金額は、税金・サービス料込み金額です。

  本体価格 サ込税別金額
和食のお品書き 4,503円 4,953円
和食のお品書き 6,500円 7,150円
和食のお品書き 7,900円 8,690円
和食のお品書き 12,000円 13,200円

別途消費税をいただきます。

  本体価格 サ込税別金額
和洋のお品書き 5,196円 5,715円
和洋のお品書き 7,400円 8,140円
和洋のお品書き 8,700円 9,570円
和洋のお品書き 12,500円 13,750円

別途消費税をいただきます。

お部屋のご案内、ご紹介
(ふせ)(こし)
見沼代用水の柴山伏越樋から名づけたものです。
 見沼代用水路は、徳川吉宗の新田開発事業の一環として掘削されたものです。
浦和地内にあった見沼溜井が干拓され、その水を使用していた地域への用水を利根川から導いた水路です。見沼溜井に代わる用水という事で、見沼代用水と言われます。
この用水の工事は、享保十二年(一七二七)九月から始められ、享保十三年二月に竣工しました。工事の総責任者は、井澤弥惣兵衛為永です。工事は、行田市の下中条地内で利根川から取水し、用水路を掘削して導水。途中、星川を経由して菖蒲地内で星川から離れ、用水路はさらに掘削されて行きます。その分水口に設けられたのが八間堰で、星川に設けられたのが十六間堰です。この二つから成る堰の開閉によって、水量が調整されています。星川から分かれた見沼代用水は、白岡市の柴山地内で元荒川の川底をくぐって流れます。この堰を、伏越樋といいます。
催馬楽(さいばら)
鷲宮催馬楽神楽から名づけたものです。
 久喜市内に在る鷲宮神社には、関東神楽の源流とされる鷲宮催馬楽神楽が伝承されています。
これは、一名「土師一流催馬楽神楽」とも言われます。
 催馬楽とは、平安時代に広く流行した歌謡で、神楽の各曲目に歌われるものです。演目は十二座で構成され、その内容の大半は古事記や日本書紀の神事を題材とした上品な舞踏劇となっています。
 神楽は、一月一日(歳(さい)旦(たん)祭(さい))、二月十四日(年越祭)、四月十日(春季崇敬者大祭)、七月三十一日(夏越祭)
十月十日(秋季崇敬者大祭)、十二月初酉日(大酉祭)に神楽殿で行われています。
房(ぼう)川(せん)
房川渡中田御関所から名づけたものです。
 利根川橋のたもとに「栗橋関所趾」の石碑が建てられています。
 この関所は、寛永二年(一六二五)に対岸の中田宿との間に設置されたもので、日光街道唯一の関所です。
幕府は北の警固を目的に、利根川には架橋しませんでした。将軍の日光社参の際には、臨時の船橋が設けられました。関所は、明治二年(一八六九)に廃止されました。
通交は渡船で行われていましたが、大正十三年(一九二四)利根川橋の開通により廃止されます。
 当時の関所跡は、その後の河川改修の結果、現在川底となっています。その名残として、栗橋関所趾の記念碑が往事を偲ばせています。
遷(せん)善(ぜん)
郷学遷善館から名づけたものです。
 久喜には、享和三年(一八〇三)創立の遷善館という郷学(学校)がありました。
享和元年(一八〇一)久喜の代官となった早川八郎左衛門正紀の推奨により、庶民のための学校として創設されました。場所は推定の域を出ませんが、現在の久喜本町、愛生会病院のあたりと云われています。
創立の趣旨・経緯については、亀田鵬斎の撰文になる「新建久喜遷善館記」に詳しく記されています。この碑は、明治十一年(一八七八)の大火で焼失しましたが、拓本が残されていました。
この拓本をもとに、「新建久喜遷善館記」碑のレプリカが公文書館の庭に建てられており、「遷善館」の扁額は、現物が榎本家に保管されています。

料理の写真はイメージです。
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